津地方裁判所 昭和33年(ワ)162号 判決 1963年6月21日
判 決
三重県一志郡久居町万町四丁目一一九番地
原告
稲垣彦次郎
右訴訟代理人弁護士
藤原昇
同県同郡同町二ノ町一、七四三番地
被告
宗教法人法苑院妙華寺
右代表者代表役員
中川実明
右訴訟代理人弁護士
井谷孝夫
右当事者間の昭和三三年(ワ)第一六二号墳墓地妨害排除請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者双方の申立
原告は「被告は原告がその長男訴外稲垣定夫の妻訴外稲垣あさ子の死産した胎児の焼骨(昭和三三年八月一四日火葬以下「本件焼骨」という。)を三重県一志郡久居町二ノ町一、七四二番地所在被告墓地一、二〇八坪のうち別紙図面に赤色で表示された原告の墳墓地(以下「本件墓地」という。)内にある原告所有の墳墓に埋蔵するのを妨害してはならない。(原告の行う右埋蔵に際し被告はその宗派による典礼をも行つてはならない。)」との判決及び仮執行の宣言を求め、
被告は、主文と同趣旨の判決を求めた。
第二 原告の主張
一、三重県一志郡久居町二ノ町一、七四二番地所在一、二〇八坪の墓地は、真宗高田派に属する被告の経営管理にかかる寺院墓地であるが、右墓地内にある本件墓地は、原告が昭和三年ごろ被告に墓地料五百円を支払い、原告家累代の墳墓地として被告の承認を得て、それ以来右墓地内に墳墓(死体を埋葬し又は焼骨を埋蔵する施設、石碑棺等をいう。以下同じ。)を所有しているものである。
二、ところで昭和三三年八月一四日原告の長男定夫の妻訴外稲垣あさ子が胎児を死産したので、同日役場から死体埋葬許可証の交付を受け、原告の娘婿訴外石田綾夫をして被告方に赴かせ、被告の代表役員中川実明に右死体を本件墓地に埋葬する旨の通知をさせたところ、被告代表役員中川は原告が日蓮正宗に入信し、被告の属する真宗の信者でなくなつたこと要するに異宗のものであることを理由に右埋葬方を拒絶し、翌八月一五日原告からの直接の懇請に対しても右と同じ理由で拒絶した。
そこで原告は原告の居住する三重県一志郡の習慣では土葬が原則なのであるが、死産児であるため腐敗が早いので、止むなく役場から火葬許可証の交付を受けて即日火葬に付してこれを焼骨となし、原告の自宅に安置した。
三、しかし右焼骨(本件焼骨)をいつまでも自宅に安置しておくことは適当ではないので、原告は是非とも原告家累代の墳墓地である本件墓地に埋蔵したいと考え、再三被告にその許諾方を求めたが、被告は前述と同じ理由でこれを拒絶し、現在に至つている。
四、しかし被告は右のような理由で本件焼骨の埋蔵を拒絶する権利は何ら存せず、原告の埋蔵依頼を許諾すべき法律上の義務が存する。
以下にその理由を詳述する。
(一) 昭和二三年五月三一日法律第四八号墓地埋葬等に関する法律(以下「墓地法」という。昭和二三年六月一日施行。)第一三条には「墓地、納骨堂又は火葬場の管理者は、埋葬、埋蔵、収蔵又は火葬の求めを受けたときは正当の理由がなければ拒んではならない。」と規定しているが、前記のような原告が異宗のものであるということは同法条にいう埋葬の求めを拒み得る正当な理由にあたらないことは多言を要しない。若し右のような理由が正当な理由にあたるとすれば、或る特定の宗派の寺院墓地に墳墓を所有する者が改宗するについては多大の犠牲を払うことを余儀なくされ(改宗すれば寺院墓地内の家累代の墓地に埋葬蔵ができなくなる。)これは憲法の保障する信教の自由を著しく阻害する事態が生ずることになる。
従つて墓地法第一三条の規定に照らし被告は原告のした本件焼骨の埋蔵の求めを許諾すべき義務がある。
(二) 墓地法の規定を別にしてこれを実体法から考えても同様である。
(1) 墳墓とは、墓地法第二条に規定するとおり死体を埋葬し又は焼骨を埋葬する施設(卒塔婆、石碑、棺等)を言い、右施設は墓地の地上及び地下にあるわけであるから墓地とは密接不可分の関係にあるのである。そして原告は先に述べたとおり約三〇年前から本件墓地内に墳墓を建設所有し、且つこれを占有しているのであるから、原告は右墳墓のみならず、右墳墓の存する本件墓地についても占有権を有することはいうまでもない。この場合墓地の管理人である被告代表役員は特定の区画された墓地に占有権を持つていると解すべきではなく、管理人の有する占有は寺院墓地全体の管理のためのいわば公法上の占有を有しているのに過ぎないのである。
(2) 仮りに右主張が理由ないとしても、原告は昭和三年ごろ本件墓地についての地上権を従前右墓地に墳墓を所有していた訴外奥井伊兵衛から譲り受けた。右地上権は賃料は半年で百円、期間の定めのないいわゆる永代地上権である。
仮りに訴外奥井が本件墓地に地上権を有していなかつたとしても原告は前記のように被告の承諾の下に本件墓地内に墳墓を設置した当初から墳墓を子孫の代に至るまで永久的に設置所有する意思を有してその占有を開始し約三〇年間これを継続し、その占有の当初から善意にして過失はなかつたから昭和一六、七年ごろ本件墓地の地上権を時効により取得している。
以上のとおり原告は本件墓地について占有権ないし地上権に基ずいてこれを占有使用する権原を有するのであるから、これら権原に基ずいて当然に本件焼骨を本件墓地に埋蔵できるのであり、被告においてこれを拒み得る法的根拠はどこにも存しない。
仮りに原告の本件墓地を使用する権利が占有権、地上権、あるいは使用貸借に基く権利のいずれでもないとすれば慣習法により認められた物権か、ないし永久性を有する無名契約上の権利である。
五、以上いずれにしても原告は本件墓地内にある原告所有の墳墓に本件焼骨を埋蔵する権利があり、被告は原告の右埋蔵行為を許諾すべき法律上の義務があるものというべきである。
そして原告は日蓮正宗の信者であるが、同宗では埋葬埋蔵は無典礼で行うことになつているから、原告の行う右埋蔵も無典礼で行うことになるわけであるが、被告は前記のとおり現在においても原告が異宗のものであることを理由に原告の埋蔵請求を拒んでいるから、原告が行なわんとする埋蔵行然を妨害するおそれが大であり、また原告がなす埋蔵に際しては、被告は自派の真宗高田派の典礼を行うおそれが大であり、右典礼の施行は日蓮正宗の信者である原告に対しては埋蔵行為の妨害行為となることは明らかである(若し右典礼の施行が妨害行為にあたらないとしてその禁止を訴求できないとすれば、原告は憲法第二〇条第二項の規定する「何人も宗教上の行為、儀式、行事等に参加することを強制されない」という権利を害され、異宗の典礼に参加することを強制されることになる。)から被告に対しこれら妨害行為の禁止を求めるため本訴に及んだ。
六、被告主張第二項の事実は、被告が真宗高田派の寺院で原告がもと被告の檀家であつたこと、被告主張の日ごろその主張のような趣旨の離檀の通知をしたことは認める。その余は否認する。
七、被告の第二ないし第四項の主張は要するに寺院墓地には墓地法の適用はなく、仮りに適用ありとしても異宗の者からの埋蔵依頼は拒み得るとなし、その理由として被告の宗教的感情を害するからということと墓地使用権が檀信徒関係に由来しているという二点を主張しているようであるが、墳墓はこれを客観的にながめれば、死者の遺体又は遺骨を収蔵して故人の霊をなぐさめるということの目的のためにのみ設置されている施設であつて、信仰の対象ではなく宗教的典礼を行うところでもない。そして本件墓地は被告の信仰の対象が安置されている寺院建物とは相当距離的にはなれている。従つて或る宗派の広域の墓地に異宗派の信者の遺骨を埋蔵したからといつて、その宗派の根本的信仰には何らかかわりあいのないことがらであるから、原告の本件埋蔵請求が被告の宗教的感情を害するということはない。また仮りに墓地使用権の発生原因が被告主張のとおり檀信徒関係に由来するものとしても、当初の墓地使用契約において檀信徒たる身分を失うときは墓地使用権も消滅する旨の契約をなす道理がない。
これは一定の宗派に属する学校法人の設置せる義務教育諸学校については宗派教育をなすことが認められ、またその学校法人はその宗派に属しない児童又は生徒の入学を拒絶する自由を認められているが、当初その学校法人の宗派に属していることを理由に入学を許可された児童又は生徒が在学中に改宗した場合にその学校法人は退学を命ずることができないのと軌を一つにしている。
第三 被告の主張
一、原告主張事実中
第一項の事実は、原告が被告に墓地料五百円を支払つたことは否認する。その余は認める。
原告は訴外稲垣源市の分家であり、本家が被告妙華寺の檀徒であつた関係で檀徒となり、墳墓を本件墓地に設置する権利を得、約二七、八年以前に原告の子供が死亡したときにこれを本件墓地に埋葬しその墳墓を設置したのである。
第二項の事実は、原告主張の日ごろ原告側から被告に対しその主張のような埋葬依頼のあつたこと、被告がこれを拒んだことは認める。その余の事実はすべて知らない。被告が拒んだ理由は原告が改宗離檀して被告の檀徒ではなくなつているということであつた。
第三項の事実は被告が原告の埋蔵依頼を拒絶していることは認める。
第四、五項の主張は後記のとおり争う。
二、墓地法は共同墓地(公共団体の経営する墓地や公営の火葬場について公衆衛生的見地からこれを規律した立法であつて、本件のように寺院の経営する寺院墓地に適用される法律ではない。そして寺院墓地においては、右墓地内に墳墓を所有しこれに埋葬、埋蔵を許される者は、いわゆる檀信徒に限られているのである。檀徒とは、その寺院の教義に帰依し寺院墓地に先祖の墳墓を設置し自己の主催する年忌法要等をその寺院の典礼によつて執行することをその寺院に委嘱し、且つその寺院の護持発展に協力する者を言い、信徒とは、墳墓を設置していないが、自己の主催する年忌法要等の執行を一時的にその寺院に委嘱する者又は、単にその寺院の教義を信奉して寺院の護持発展に協力する者を言う。そして檀信徒になるには、寺院の代表者にその旨の申込をなし、承諾を得て入檀冥加金を支払つて始めてその資格を得ることになる。
被告は真宗高田派の寺院で宗祖親鸞上人の立教開宗の本義に基ずき檀信徒を教化育成することを目的としているのであつて、このような被告の寺院としての性格からしても被告の寺院墓地に埋葬、埋蔵が許されるものは檀信徒に限られるとの論は首肯されよう。
しかるに、原告は前述のように約二七、八年前から被告の檀徒となつたものではあるが、昭和三三年六月ごろ被告の代表役員実川実明に対し「自分は創価学会(日蓮正宗の信者の団体)に入会したから今後被告との縁を一切断つ」旨の離檀の申入をなし、被告においても右申入を承諾し、原告を檀徒から除外したのである。
このように原告は右昭和三三年六月以降は檀徒ではなくなつているのであるから、被告に対し埋葬、埋蔵を求める権利を失つているのである。そこで被告はこれを理由に原告の依頼を拒絶したのであつて右拒絶はもとより正当である。
三、仮りに墓地法が本件のような寺院墓地にも適用されるとしても、今日まで二百数十年に亘り寺院開設以来被告は異教徒ないしその家族を埋葬埋蔵したことはないのである。このような被告の寺院墓地に異教徒である原告の家族の焼骨の埋蔵を許すことは、特にそれが異教徒の典礼を以つて行われるときはなおさらのこと、無典礼による場合でも被告の宗教的感情を著しく害するから、右の埋蔵を右の理由で拒絶するのは墓地法第一三条にいう正当事由にあたるというべきである。
四、原告は本件墓地につき使用権があるとなし、その理由として占有権、地上権、使用貸借上の権利等種々の主張をするけれども、いうところの墓地使用権は、民法上のいかなる権利にも属しないもので、寺院と檀徒という身分関係に由来する慣習上の権利である。原告が現に被告墓地内に墳墓を所有しているのは、原告がかつて被告の檀徒であつたからに外ならず、離檀した以上は原告の右墓地使用権は消滅しているのであるから、現在では原告は何らの権限なくして被告の墓地内に墳墓を所有し、本件墓地を不法に占有しているのである。
なお被告は右の意味での原告の占有を何ら妨害してはいない。被告は本件焼骨の埋蔵の拒否はするが、すでに埋葬埋蔵されているものについては何らの妨害をしたことはない。
五、信教の自由を阻害する旨の主張に対しては次のとおり主張する。憲法第二〇条が「信教の自由は何人に対してもこれを保障する。」と規定するのは、国民の信教の自由を国権から保障するという趣旨である。具体的には、国権の作用である立法、行政等によつて信教の自由を奪うことは許されないということである。
そこで個人や宗教団体が、他の個人に対し信教を強制したり、転宗を強要したりすることの不法なことはもちろんであるが、原告は任意に改宗離檀した結果として被告の寺院墓地の使用権を喪つたのであるから、これは当然のことであつて、信教の自由の問題とは何らかかわりのないことである。
右に関連して原告の典礼行為禁止の請求部分について述べるならば、被告は真宗高田派の寺院としてその宗義を奉じ、宗義に基ずいて布教し、典礼を行うものであつて、これは憲法二〇条によつて国権から何らの干渉を受けないことがらである。その寺院墓地において埋葬、埋蔵の依頼による埋葬、埋蔵に際し真宗高田派の典礼を行うことは当然のことであり、何ら信教の自由を害するものではない。寧ろ被告の右典礼を差し止めようとする原告こそ信教の自由を害せんとしている者というべきである。
六、なお被告の埋葬埋蔵に際し行う典礼は次のとおりである。死者があれば、枕経と称し死者に対し帰敬式を行い、法名(戒名)を僧侶から授与する。次いて親族により浄土三部経(大無量寿経、観無量寿経、仏説阿弥陀経)等を唱和し、念仏を唱え、納棺式を行い、通夜をして一夜念仏読経する。次に日を定めて葬式を執行し、その後に墓地で僧侶立会の下に埋蔵式又は納骨式を行う。このとき僧侶は重誓偈という経文を唱える。その翌日に灰葬式を行つて一切の儀式を終る。更に中陰と称して七日目毎に法要を営み七七日を以つて終る。そして寺院においては寺院保有の過去帳に死者の法名及び俗名を記入し永代保存し檀家においては死者の法名を記した位牌を仏檀に安置し、死者に対する追慕尊宗の対象とするのである。
第四 証拠≪省略≫
理由
一、被告が真宗高田派に属する寺院でその経営にかかる寺院墓地が久居町二ノ町一七四二番地に存すること、原告は昭和三年ごろ被告の承認を得て右墓地内の本件墓地に原告家代々の墳墓を設置し、爾来これを右墓地内に所有して来たこと、その当時から昭和三三年六月ごろまで原告は被告の檀家であつたが、そのころ原告は被告に対し創価学会(日蓮正宗の信者の団体)に入会し改宗したことを理由に、離檀の通知をなしたこと以上の事実は当事者間に争がなく、(証拠―省略)によれば、次の事実が認められる。
すなわち昭和三三年八月一四日に原告の長男定夫の妻訴外稲垣あさ子が、胎児を死産したので、原告は同日埋葬許可書の交付を受け、娘婿訴外石田某をして被告方に赴かせ右死産児の本件墓地内への埋葬方を依頼したが、被告代表者中川実明は原告が日蓮正宗に改宗、離檀し、異教徒となつたことを理由に右依頼を拒絶し、翌日再度の原告自らの依頼に対しても右と同じ理由で拒絶した。そこで止むなく原告は胎児のこととて腐敗し易いところから、埋葬許可書を火葬許可書と訂正交付を受け、火葬に付し焼骨となし同月一七日再度埋蔵依頼をしたがこれも拒絶されたので、止むなく原告の自宅に右焼骨を安置した。(なお右被告の埋蔵方の拒否については昭和三三年八月下旬に創価学会の信者有志と被告との間に再三交渉があつたが話し合いがつかず、ついに原告において津地方法務局に人権侵犯事件として告訴がなされ、法務局係官が斡旋にあたつたが、主として埋蔵に伴う典礼方式について双方の意見が一致せずために遂に不調に終つた。)
他に右認定に反する証拠はない。
二、しかして原告の本訴請求は、原告の被告に対する本件焼骨の本件墓地内の埋蔵依頼に対し、被告はこれを許諾すべき法律上の義務があることを前提とし、従つて右の埋蔵依頼により当然に原告は右埋蔵をなす機能を取得したとなし、被告に対し右権利の実行として右埋蔵行為をするについての妨害行為(物理的妨害のみでなく、被告の典礼の施行をも妨害行為とする。)の禁止を求めるものであることはその主張自体に徴し明らかであるから、先ず原告の前記埋蔵依頼に対し被告がこれを許諾すべき法律上の義務があるかどうかについて判断する。
三、ところで墓地法は同法附則第二四条に規定するように日本国憲法の施行の際現に効力を有する命令の効力に関する法律(昭和二二年法第七二号)第一条の四により法律としての効力を保有していた次の命令、すなわち墓地及埋葬取締規則(明治一七年大政官布達二五号)、墓地及埋葬取締規則に違背する者処分方(同年大政官布達八二号)及び埋火葬の認許等に関する件(昭和二二年厚生省令第九号)を廃止し、これに代るものとして制定された法律である。
そして成立に争のない甲第三号証によれば、国又は地方公共団体の経営するいわゆる共同墓地については、右大政官布達以来所轄の府県知事から墓地管理権及び墓地使用について種々の規制がなされて来たが、寺院の経営する寺院墓地の管理権ないし墓地使用については特にこれを規制するものはなく、前記明治一七年の大政官布達二五号によりこれを永久墓地として当該寺院の管理に委ねていたことが認められる。
従つて墓地法が前記のとおり右大政官布達等を廃止し、これに代るものとして制定されたものである以上墓地法は寺院墓地にも適用されることは明らかであり、同法第二六条により従前から寺院墓地についてその経営管理権を有していた寺院は同法により許可を得たものとみなされ、ここに寺院墓地は共同墓地と同じく同法によつて規律せられるに至つたのである。
四、しかして墓地法第一三条に「墓地、納骨堂又は火葬場の管理者は、埋葬、埋蔵、火葬等の依頼を受けたときは正当の理由がなければこれを拒んではならない。」旨規定しているから、被告の前記のような改宗離檀した異教徒からの埋蔵依頼であることを理由とする拒絶が同条にいう正当の理由にあたるかどうかについて考察する。
ところで同条にいう拒絶できる正当な理由とは具体的にはいかなる場合かについては法文上明らかにされていないが、要は同法第一条にいうように同法が墓地の埋葬蔵等が国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障なく行われることを目的として制定された法律であることにかんがみ、このような立法の精神に照らし社会通念の上から正当の理由の内容を解釈して行くより外はなかろう。
そして若し社会通念の上から永年慣行として認められていたものがあれば、右慣行も正当理由の解釈については当然斟酌されてしかるべきであろう。
以下この見地に立つて考えるのに、墓地法が制定されるまでは共同墓地については種々の規制がなされていたが(前顕甲第三号証によれば、東京府令第四四号墓地設置及管理規則第五条は墓地の新設変更又は廃止は知事の許可を受くべきこと、墓地管理者は宗旨の別を問わずその市町村在籍者又は市町村で死亡した者に対し総て埋葬の求めに応ずべきことと定め、また古くは明治一七年内務省達墓地及埋葬取締規則施行方法細則標準第三条にも同趣旨の規定が存することが認められる。)寺院墓地については単に明治一七年の大政官布達第二五号により永久墓地としてこれを当該寺院の経営管理に委ねていたことは前記のとおりであるから、墓地法制定に至るまで寺院墓地はいかなる経営管理がなされて来たかを先ず知る必要がある。
五、そして後記の寺院墓地の歴史的沿革からすれば、少くとも墓地法制定当時までは異教徒からの埋蔵依頼ということはかつて殆んどなされたことはなく、またこのような依頼はこれを拒み得るという慣行が存していたものと考えられる。
すなわち、寺院墓地は古い歴史を有する。徳川時代に幕府がキリスト教徒の根絶を期するため国民はすべて一定の寺院の檀家として宗門改帳に登載されることを要するとなし、寺院は幕府の命により国民が自己の檀家たることを証明する宗旨手形を発行するなど、徳川時代においては幕府は、仏教を国家において認める唯一の宗教となし、檀家制度を確立することによりこれを一種の統治のための組織として利用して来たのである。そのため改宗離檀の如きは原則として認められず、ために仏教は根強く国民の生活を支配するに至つた。しかし明治になつてから仏教に対する政治的庇護がなくなり、加うるに檀家制度の基礎となつた宗旨手形等の制度が戸籍法の施行により明治初年に廃止されたことにより、檀家制度は次第に崩壊の過程をたどることになつたが、現在においても長年月に亘つて培かわれた慣行は消えるわけもなく、仏教寺院のあるところ必ず檀家制度の存することは顕著な事実である。
そして檀家(正確には檀信徒のうち檀徒)とはその仏教寺院の教義を信奉し、寺院墓地に墳墓を設置し自己の主宰する祭等をその寺院に一時的でなしに委託し、且つその寺院の経費を分担する者を言うこと(信徒とは一時的な葬祭等の委託者を言う。)は被告の主張するとおりであり、従つてその寺院の檀徒となることにより始めてその寺院の墓地に墳墓を所有するに至るわけである。
このような歴史的沿革に徴すると、寺院墓地は従来からその寺院の檀家からの埋葬蔵の依頼のみを取り扱つて来たのであり、異宗のものから埋葬蔵の依頼は起り得なかつたと考えられ、若し異宗のものから埋葬蔵の依頼があつたとしてもこれを拒み得るものと考えられ、このような慣行が永年に亘つて続いて来たであろうことは容易に推測することができる。証人(省略)の各証言及び被告代表者中川実明尋問の結果によつて右のことは認められる。
従つて墓地法第一三条の正当理由の解釈についても右の慣行の存在を無視することは許されないであろう。(成立に争のない乙第二号証により認められる昭和二四年八月二二日付厚生省公衆衛生局環境衛生課長の墓地法一三条についてと題する東京都衛生局長宛の文書は、この見地に立つて異教徒からの埋葬蔵依頼を拒むことは正当の理由による拒絶であるとしている。)
六、よつて進んで右のような慣行を社会通念の上から全面的に正当理由の一つとして是認できるかどうかについて考える。
墓地法第一三条は、共同墓地、寺院墓地によつて区別して取り扱つてはいないけれども、両者はそれぞれ特質を有しているのであつて共同墓地については何よりも先づ公衆衛生上の見地が優先し、この見地から正当な理由の内容を定めるべきであろうが、寺院墓地は宗教法人である仏教各宗派の寺院の経営する墓地であることからして、当該仏教寺院の宗教的感情を著しく損うごときことは許されないことは当然であり、その点において前記慣行は尊重さるべきであるが、さりとてその宗教的感情の尊重に急な余り、我が国民全体の宗教的感情ないし公共の福祉から要請に適合しないような解釈運用もすべきではあるまい。
明治以降改宗離檀が自由になつたこと、改正民法の施行により家族制度が廃止されたこと、終戦後信教の自由が保障されるに至つたこと等の諸事情からして既成の寺院宗派に属しないいわゆる新興宗教が台頭し、故は既成の寺院宗派の一部の活発な布教活動により、従来寺院の檀家であつたもの、ないしそのものの家族の個々人がこれらの宗教に改宗し、離檀するという現象が生じて来た。(成立に争のない乙第二号証によれば日蓮正宗の信者の団体である創価学会の会員は昭和初年にはごく僅少であつたのが、昭和三〇年ごろには全国で約七〇万世帯約一三〇万人を算するに至つたことが認められ、証人秋谷城永の証言によれば現在でも月間相当多数の入信者があることが認められる。)
このような国民の宗教生活の変遷を背景として本件のような改宗、離檀した異教徒からの従前檀家であつた寺院墓地に対する埋葬蔵の依頼という現象が発生するに至つたのである。(証人(省略)の証言によれば、昭和三二年ごろから全国で約二百件余り本件のような埋葬蔵依頼に伴う紛争が生じたことが認められる。)
このような現象は、国民の墳墓が前述したように檀家制度によつて元来寺院墓地にのみ存し、そのため大多数の国民の先祖の墳墓が寺院墓地に存すること、右のように寺院墓地に先祖の墳墓を所有する国民の一部において次第に前記のように改宗する者が現われるに至つたのに、国民の伝統的祖先宗拝という宗教的感情からその親族の遺体ないし焼骨を既成の仏教寺院の経営する寺院墓地内の右先祖の墳墓地に埋葬蔵したいという根強い希望が存すること、これに加えて他面寺院墓地に代るべき共同墓地がその絶対数において少いこと(証人(省略)の証言によれば、全国的に共同墓地は寺院墓地に比し少いことが認められる。)またいわゆる新興宗教ないし活発な布教活動をしている一部の仏教宗派等が増加した信者の墳墓を各地域別にもれなく自己の経営する墓地に移し迎えるだけの施設を講じ得ないことなどがその理由に考えられよう。
そうすると、若し改宗離檀したものから右のような埋葬蔵の依頼に対し寺院墓地管理者がすべて一律に異教徒からの依頼は拒むことができるという前記慣行によつて律し、これを拒むことを正当な理由にあるとして右依頼を拒むことを墓地法が容認するとすれば、右のような先祖の墳墓地に埋葬蔵したいという国民の宗教的感情に背反することになり、これは公共の福祉にも適合しないことになろう。
七、そこで当裁判所は一方において寺院墓地に存していた古来からの前記慣行の本来の趣旨とするところを尊重しつつ、他方において、国民の宗教的感情ないし公共の福祉からの要請に背かないようにという建前にたつて正当理由の内容を解釈すべきものとする。そこから導かれる結論は次のとおりである。
すなわち従来から寺院墓地に先祖の墳墓を所有するものからの埋葬蔵の依頼に対しては寺院墓地管理者は、その者が改宗離檀したことを理由としては原則としてこれを拒むことができない。但し右埋葬蔵が宗教的典礼を伴うことにかんがみ、右埋葬蔵に際しては寺院墓地管理者は自派の典礼を施行する権利を有し、その権利を差し止める権限を依頼者は有しない。従つて(一)異宗の典礼の施行を条件とする依頼(二)無典礼で埋葬蔵を行うことを条件とする依頼(異宗の典礼は施行しないが、当該寺院の典礼の施行も容認しない趣旨の依頼)このような依頼に対しては、寺院墓地管理者は自派の典礼施行の権利が害されるということを理由にしてこれを拒むことができるし、右のような理由による拒絶は墓地法第一三条にいう拒絶できる正当な理由にあたる。
八、このような結論が導かれる理由を詳述すれば次のとおりである。
先に述べたとおり我が国においては国民の墓地は歴史的に古くから寺院の墓地のみであつたのであり、その寺院の檀家となることによつて寺院墓地内に墳墓を所有することができたのであるから、右墳墓を所有することにより右墳墓の存する墳墓地を使用する権利(以下「墓地使用権」という。)は結局寺院との檀信徒加入契約とでもいうべき契約に由来するであろう。
しかしながらかくして取得した墓地使用権は墳墓が有する容易に他に移動できないという性質(官庁の許可を得た墓地内にのみ設定されねばならない。)すなわち固定性の要求からして、また我が国においては墳墓が先祖代々の墳墓と観念されていること(民法第八九七条は墳墓について相続人の承継を一応おさえ、その所有権は慣習に従つて祖先の祭祀を主宰すべきものが承継する旨規定している。)また国民の宗教生活上墳墓は尊厳性を持つべきことを要請されていること(刑法にこれを保障する規定がある。)などの諸点からして墳墓は必然的に固定的且つ永久的性質を有すべきものとして観念されているのである。さればこのような固定性、永久性を有すべき墳墓を所有することにより墳墓地を使用することを内容とする墓地使用権も、たとえその設定契約が前記のように檀家加入契約という契約に由来するとしても、右墳墓と同様に永久性を持つべきものと考える。そして当初の設定契約もかかる性質を有するものとして設定されておるものと言えよう。これを象徴する言葉として永代借地権なる語が存するが、墓地使用権が法上いかなる権利に属するかどうかは別として墓地使用権の本来的に有する性質を現わしていると言えよう。
寺院墓地はかくしていわば永代に亘つて墳墓地の使用を許さなければならないという負担を設定契約の当初から背負つているのである。
従つて、当該墳墓の祭祀を司る者が改宗離檀したからと言つて、その者及びその親族の墓地使用権はこれによつて当然に消滅するということはできまい。
被告のこれに反する見解に立つ主張は採用できず、被告の右主張に副う証人(省略)の証言は信用しない。
(もつともこのように解すると改宗離檀というも、いまだ先祖の墳墓地を寺院墓地に所有している場合は、前記永代墓地使用権を有している関係からして少くとも当該寺院墓地に墳墓地の維持料等の経費負担の義務が存する等の関係から当事者間に離檀の合意があつても、このような場合に完全な離檀と言えるかどうか疑問であるが、一応改宗し、寺院の教義の信奉者でなくなつたという点において離檀と言えなくもなかろう。本件においては離檀という語は右の後者の意味に用いる。)
そうであるとすれば、一度び先祖の墳墓を寺院墓地内に所有し、その墳墓地を永久的に使用し得る者からの、その親族の遺体ないし焼骨の右墳墓地えの埋葬蔵の依頼に対しては、寺院墓地管理者は原則としてその者が改宗離檀したかどうかにかかわりなくこれを拒み得ないものと解すべきである。
(但し右にいう墓地使用権は墳墓を寺院墓地内に設置所有する権利であるから、その意味での使用権の当然の権利として埋葬蔵できると解すべきではなく、個々の埋葬蔵は墓地管理者の承諾が必要であり、墓地法第一三条もその趣旨で管理者の許諾義務の要件について規定しているのである。原告は占有権、地上権等に基ずいて当然に埋葬蔵できる旨の主張もしているけれども右主張は右の理由によりいうまでもなく失当である。そして原告が占有権、地上権等と主張する権利の内容は右に表示した墓地使用権を指しているここは明らかである。)
従つて寺院墓地における前記慣行(異教徒からの埋葬蔵の依頼は拒み得るとされていた慣行)はその限りにおいて修正を余儀なくされ、寺院墓地側の宗教的感情は制約を受けることにもなるわけであるが、元来このような制約の因子は前記基地使用権の永久性の故からして墓地設定契約の当初から右契約の中に内在していたといつても過言ではなかろう。
九、しかしながら右のように改宗離檀したことを理由としては埋葬蔵の依頼を拒み得ないとしても、その埋葬蔵に際し行わるべき宗教的典礼については、当該寺院墓地の管理者は自派の典礼を施行し得る権限を有していることは言うまでもない。
古来から葬式という言葉で言われているように、死者ある場合はそれが遺体のまま埋葬されるとないし焼骨として埋蔵されるとを問わず、それが寺院墓地において行われる限りにおいてはその寺院の属する宗派の定める典礼が施行されて来たのであつて、このような典礼の施行が必ず伴うことが実は寺院墓地と共同墓地との本質的な差異をなしているのであつて、右典礼の施行が必須的に伴うことこそ寺院墓地のそもそもの開設以来今日まで永年に亘つて行われた慣行である。
このことは宗教法人法第一条第二項に「この法律のいかなる規定も個人、集団、及び団体がその保障された自由に基ずいて教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」旨の規定が存することによつても明らかであろう。
そうであるとすれば、いやしくも或る宗派の寺院墓地管理者に埋葬蔵の依頼をした以上、その者はその管理者が自派の典礼を行うについては依頼者はこれを受忍すべきが当然である。
一〇、原告は墳墓は信仰の対象ではなく、宗派的典礼を行うところではないと主張し、仮りに右主張が原告の信奉する日蓮正宗にあてはまるとしても、少くとも被告の所属する真宗においては、典礼を行うさだめとなつていることは証人(省略)の各証言及び被告代表者中川実明尋問の結果(第一、二回)により明らかであるから、原告の右主張は被告の寺院墓地に関する紛争である本件については採用できない。
また原告は、若し改宗離檀した者の埋葬蔵の施行について当時寺院の典礼を受忍しなければならないということになれば、これは「何人も宗教的行事に参加することを強制されることはない。」と明言した憲法第二〇条第二項の規定にていしよくすると主張する。しかしながらこれは改宗離檀したのにあえて従来の寺院墓地に埋葬蔵したいということに原因するのであり、そのこと自体は前記のように国民の宗教的感情等から是認されるのであるが、然し改宗離檀等の、もとの寺院墓地への埋葬蔵の依頼には、それだけの負担(寺院の典礼は受忍しなければならないという負担)を負うべきであり、これは本来自己の任意に出た前記埋葬蔵の依頼行為に帰因しているのであるから、何らの原因なしに強制されるというわけではないから、右のように寺院の典礼の受忍義務を認めても、別段憲法第二〇条二項の規定にていしよくするということはあるまい。
もし寺院墓地管理者が自派の典礼を当該寺院墓地において行われる埋葬蔵に際し施行できないとすれば、寺院墓地はその限りにおいて共同墓地と全く同じになるわけであつて、これは寺院墓地の特殊性、永年に亘つて行われて来た自宗派の典礼施行という慣行を全く否定することになる点において全国の寺院及びその教義の信奉者(その中には原告の信ずる日蓮正宗の寺院も含まれる。)という多数の国民の宗教的感情を著しく害することは明らかである。立場をかえて日蓮正宗の寺院墓地に他宗のものが埋葬蔵の依頼をなし、日蓮正宗の定めるところに従わず、異宗の典礼を施行し、日蓮正宗の寺院墓地管理者がこれを差し止めることができないとされた場合に日蓮正宗の寺院及びその信者はいかなる感情を抱くであろうか。容易に想像し得るところである。
またたとえば、宗教団体の経営する学校に子弟を入学させた後において、その父兄が改宗し、これを理由に、その父兄が子弟をその学校に在学させたままその学校に対し、その学校の属する宗派の宗教教育をその子弟についてのみ禁止させることができるであろうか。このようなことの許されないことは見易い道理である。
一一、以上論示したところからの当然の帰結として、改宗離檀者からの寺院墓地内の先祖の墳墓地への、その親族の遺体ないし焼骨の埋葬蔵の依頼については、右に述べた寺院の典礼施行権を害するが如き条件を含んだ前記第七項の(一)(二)のような依頼(異宗の典礼の施行を条件とする依頼、ないし無典礼を条件とし当該寺院の定める典礼の施行を容認しないような依頼)に対し、寺院墓地管理者に許諾義務がありとせば、寺院墓地としての性格を根本から否定抹殺することになり、このようなことは社会通念の上から是認することはできないから右のような依頼に対してはこれを拒み得ると解すべきである。従つてこのような依頼に対する自派の典礼施行が害されることを理由とする拒絶は、墓地法第一三条の拒絶できる正当理由ある場合にあたると言えることになろう。
一二、もつとも、墓地法第一三条には、典礼については何ら規定するところがないから、或は昭和三五年三月八日付厚生省公衆衛生局環境衛生部長の通達(成立に争のない甲第二号証)の如く、典礼と埋葬蔵を切りはなし、典礼の施行についてはこれを当事者の解決に一任するという見解も成立する余地がある。
しかしこのような見解は民事上刑事上の許諾義務の存否を決するための墓地法の法文の解釈としては採用できないことは、先に述べた寺院墓地における埋葬蔵が必ず宗教的典礼を伴うことを不可欠とすることに対し縷説を要しないであろう。
以上説示したところに反する甲第五号証の記載部分及び証人(省略)の証言部分は採用できない。
一三、以上説示した見地に従つて本件をみると、原告はもと被告の檀家として被告の寺院墓地内にある本件墓地に先祖代々の墳墓を所有して来たことは先に認定したとおりであるから、本件墓地についていわゆる墓地使用権を有する者であることはいうまでもなく、このような者からの本件墓地へのその親族のものの死産児である本件焼骨の埋蔵方の依頼については、被告は原則としてこれを拒み得ないのではあるが、原告の右依頼は、右埋蔵については無典礼で行うというのであつて、これは同時に被告寺院の定める典礼の施行を容認しない趣旨のものであることは、被告寺院の行うことあるべき典礼を妨害行為としてその禁止を求めていること自体に徴し明らかであるから、このような依頼に対しては、被告は自派の定める典礼の施行権が害されることを理由にして原告の本件埋蔵依頼を拒むことができるのであつて、このような理由による拒絶は墓地法第一三条の正当な理由ある場合にあたると解すべきである。(そして被告が右のような理由によつて拒絶する旨の主張をもなしていることはその主張自体に徴し明らかである。)(被告寺院が死者ある場合に行われる典礼は被告代表者中川実明尋問の結果(第二回)によれば、大体被告主張のとおりであること、本件のような埋蔵に限つて言えば、被告寺院の僧侶が立ち会い埋蔵式を行い、このとき僧侶は重誓偈なる経文を唱えることになつていることが認められる。)
一四、附言すれば右のように解しても原告が主張するような信教の自由、改宗の自由を阻害することにはなるまい。改宗離檀は自由であり、改宗離檀したことだけでは寺院側は埋蔵請求を拒み得ないのであるから、改宗離檀そのものが阻害されるわけではない。
そして前記のような埋蔵に際し行われる被告の典礼の程度なら原告がこれを受認しても原告の宗教的感情が著しく害されるということはあるまい。(右被告の施行する典礼の受認が憲法二〇条二項に反しないことは前記のとおりである。)しかしいかなる程度の典礼であつても、それを施行する権限が寺院墓地側に存する以上これを差し止めるがごとき結果を伴うことを要件としているような埋蔵依頼に対し寺院墓地側に許諾義務を課するわけにはいかないのである。もとより寺院墓地も公共の福祉からの制約を免れないが、典礼施行権の否定抹殺は宗教法人である寺院の存立そのものをおびやかし、国民の宗教感情にも反することにもなり、却つて公共の福祉に適合しないような事態に立至るであろう。
もしどうしても原告が被告の典礼を受忍することができないというのならば、原告の信奉する日蓮正宗の墓地なり共同墓地なりに被告の寺院墓地内にある原告の先祖の墳墓を改葬するより外はなかろう。日蓮正宗の墓地等が原告の住居地附近に存しないという理由だけからして、直ちに原告が被告の寺院墓地に無典礼で埋葬蔵できる権利があるとすることは、少くとも墓地法第一三条の解釈からは出て来ないことは縷々説示したとおりである。原告の右のような要求をかなえることは、もはや墓地法の解釈の問題ではなくして、墓地政策という政治の問題であり或は立法論の問題であろう。
一五、以上の次第であるから、原告の被告に対する本件焼骨の本件墓地への埋蔵請求に対し被告はこれを許諾すべき法律上の義務はないから、右義務あることを前提とする原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
津地方裁判所民事部
裁判官 松 本 武